バイト中考えてバイト中書いたヤツ

 

 

 

 

 

病気だと思う

 

 

 

睡眠から目を覚ます。まず目に入るのは好きな彼の顔だ。彼の写った写真やうちわ、グッズが散乱した部屋に居るわけだから当たり前である。スマートフォンを見る。ホーム画面、写真フォルダ、私のSNS、全てに彼が居る。テレビを付け録画していた番組を見確認しても彼の姿、動画アプリを開いてみてもあなたへのおすすめには必ず彼の顔、

 

こんな洗脳状態で日々過ごしているわけなのだから、私の口から発せられる言葉は彼の名前が主語になる言葉が殆どになる。何故なら入ってくる情報が彼しかないのだから、発せられる情報も全部彼になる。脳がもう侵されているのだ。逃げたくても自らの意思では逃れられない、間違いなく薬物と同じである。

 

目を覚ましてからまた就寝するまでの間、彼から逃れられた時間はどのくらいなのだろうか。1ミリも考えない時間など、あるのだろうか。頭の片隅には必ずいる、まるでカルト宗教だ。人間としての思考の自由を奪われている。

 

いや、カルト宗教を信仰している方がまだ良いかもしれない。宗教の場合は信仰する対象にしっかりと同意し、尊敬をし、自ら選択しその対象について行く。もし信仰を変えたり信仰をやめる意思を持っても現代ではアフターケアが充実している。

しかし私の対象は違う。彼の姿を初めて拝見してから数年、気づいたら、ずっと私の脳内に潜伏していたのだ。まるで寄生虫の様に、脳を蝕んで、もう後戻り出来ないところまで食い荒らされていた。逃れる術は、今のところ不明だ。病院に行っても、警察に行っても解決しない。

 

に似ていると思う。いや、適当な事を言ってしまったかもしれない。偶像しか知らないのに恋と断言するのは良くない。しかし、この気持ちを表すのに恋以外の言葉が見つからない。困ったものだ。

果たしてこの感情が恋に《似たもの》なのか《恋》本質なのかは定かではない。定かにする術が未だ分からないのだ。

 

アイドルに恋をするということは世間的に考えると完全に間違った選択肢であり、ましてや悪とされる方が多い。報道では定期的にアイドルへのストーカー行為が音沙汰され、その流れでインターネットではガチ恋とされる人間がバッシングを受ける世の中だ。私も異常だと思う。そう思ってみても、どうしようもできないのだ。明日すぐに彼のことを偶像としてのみ愛せ、と言われても不可能だ。何故なら《アイドル》の彼以上に《男性》としての彼が愛おし過ぎるから。

 

彼の事を恋愛対象として好きだが、彼の事が好きな他人と仲良くしたい、仲良くできるという人間を私は心底嫌悪している。俗に言う、ガチ恋ですが同担OK“と言うやつだ。

シンプルに意味がわからないのである。彼の事を恋愛対象として好きな気持ちがあるのに、恋敵と仲良くする精神は一体全体どういうことなんだ。

私は彼を好いている人間が全員嫌いだが、こういう人間が一番嫌いである。オブラートに包んでも、嫌いである。

 

しかし、世の中の考え方は違う。同担OK”という文字だけでその人評価はグンと上がり、同担NG”という文字だけで評価がグンと下がるのだ。だから同担拒否勢とよばれる人間達は表社会だけでなくSNSでさえコソコソと生きる事を余儀なくされている。私がそんなコソコソと日の目を見ない思いをしている中、ヘラヘラと対象への恋文を倩と述べ、自由気ままに虚恋愛を楽しんでいる所謂同担というものが心底憎く、羨ましい。

そいつらのせいで楽しいはずのSNSすら、心の底から楽しめない。

 

私は、ガチ恋だから同担拒否とか、同担が嫌いだから同担拒否とか、そんな理由で同担拒否をしているわけではない。単純に『私が好きな対象の事を好く人間と仲良くなれるわけが無い』という考えであるからだ。この際、同担などという単語はどうでもよくて、彼の本質が好きな人間が存在している事自体が苦しいのだ。はやくアイドルを辞めて一般男性になってほしい。

 

少し嘘をついた。結局、私は彼の事を恋愛対象として好きな気持ちの他に、彼がアイドルとして活動する信念や欲望、夢を追いかける姿が大変尊くいつくしいと思っている。彼は努力家の本当に素晴らしい芸能人である。出会えた事が絶頂の幸せだとも思う。

私はアイドルとして、万人から愛されキラキラとしたそれこそ気高い偶像の彼も、男性としての本質の彼も、全てが好きなのだ。皮肉な矛盾である。アイドルは彼の選んだ道、目指した夢である。辞めてほしいとは、思えない。思えないが、偶に、思ってしまう。

 

彼は沢山の人から評価される事を願っている。そんな中それを阻止し独り占めがしたい私はどう考えても悪者である。悪者どころかあってはならない事なのだ。

 

だから同担拒否は人間として評価が下がる。仕方ない仕組みだ。こればかりはマジョリティに忠実に、従う他ない。嫌だが。

彼を、偶像の愛玩として好いてみたかった。

 

 

 

いつ結婚するんだと、家族からよく言われる。

 

親からすれば、周りの人間の子供は地元恋愛をし、もう家庭を持つ子さえ沢山いる。そんな子供トークのなか、「ウチの娘はアイドルに恋してるので彼氏なんて真平です」なんて言えるはずもなく、可哀想だ。しかも、ウチは典型的な日本文化尊重家庭である。正社員として働き、結婚をし子育てをする。それが一番の幸せだと考えるアレである。幸せというか、そうでなければならないのだ。

幸せは人それぞれであり、どんな形であれその人が生きたい様に生きる事が大正解だと思っている。しかし、私はそんな家庭に育ったものだから、私の最終的な幸せはそんな決められた様な人生だと思っているし、最大の親孝行はソレであると頭の片隅ではずっと思っている。私は長女であり親両家の一番孫である。古い家族文化の重圧が歳を重ねる毎にのし掛かってくる。望んだ形に育たず、申し訳ない気持ちで苛まれる日々。本当に私は親に苦労をかけた。早く親孝行がしたい。

 

故、逐一目を覚ましたいと考える。仕事、恋愛、結婚、子育て全部したい。できれば若いうちに。それを遂行したい気持ちは大いにあるのだが、脳を蝕む彼が全てを邪魔する。

本当に痛いと思っている。今年で23になる女が、テレビの向こうに居るプライベートもわからない人間に恋をし、日常を顧みず振り回されている。

早く彼から失恋がしたい。失恋をして、新しい普通の恋がしたい。

彼を好きなまま、他の人と心の底からの恋愛が出来る程私は器用ではない。いくら良い人と出会ってもいつも頭には必ず彼が居る。彼のクローンさえ作ってくれたらもう万事解決なのだが、倫理が邪魔をする。

 

今、そんな思い描いた人生を歩めない理由の一つは、私の人生の今この時間において、彼が常に『1番』であるからだ。

何でもかんでも彼に合わせ、彼と比べ、彼に服従している。彼が邪魔で邪魔で仕方がない。

こんなの、普通じゃない。しかし彼を目の前にすると普通じゃない、と考える事すら忘れてしまう。これで良い、これが私の幸せだ、と思ってしまう。まさしく洗脳、依存である。

 

《普通》というのも、よく分からなくなってきた。

私は私が考える普通を、小学校までで終えてしまった様な気がする。

中学校の時点で、自分が所持する少しばかりのお小遣いをまるで知らない偶像に費やしていた気がする。高校に入るとそれは加速し、現在に至るまでずっと遠い存在に夢を見て幸せと現金の交換をしていた様に思う。

Instagramでは、私が考える《普通》をしている友人のストーリーが沢山転がっている。ドラマではとても綺麗な清純異性交友が行われている。とっても羨ましい。何故か憎いとは思わない。見ていて朗らかな気持ちになる。美しいとも思う。

憎いと感じないのは、きっともう《普通》が『憧れ』の領域になってしまったからだ。

自分で選択しここまできた。もうこの狂った価値観も、一生ものになるだろう。

 

もうここまできたら、病気として疾患名がついてくれた方が楽だ。その診断書を掲げて私は病気だからこんな考え方、生き方になってしまうのだ、と大声で叫び回りたい。そうしたら少しは落ち着いた考え方が出来るかもしれない。病気なら半強制的にソレを辞めないといけない為、医者と共に辞める努力が出来るかもしれない。

しかし、診断書が無い今、自己治癒でないとソレをやめる事ができない。努力すらできない。治るどころか、悪化する日々である。

 

苦しい。何故こんなことになっているのか。

対象さえいなければ、今頃と考える事も度々ある。

対象さえいなければ、しなくていい事もたくさんしてきた。

対象さえいなければ、ここまで考え込む事もなかった。

 

しかし、対象さえいなければ、得られなかった幸福や楽しさも沢山沢山沢山ある。

いや、寧ろその方が多いかもしれない。

 

事実、私は今とても楽しい。同じ思考やこの気持ちを受容してくれる仲間に恵まれ、共にグループ活動をし、日々充実している。確かに元を辿れば彼の為にとしている耐え難い事も、彼のお陰で知り合えた友人や彼本人に助けられて耐えられている。この行為がまた、楽しくもあるのだ。対象が無くなっても、一方的にだが仲良くしたいと思う人達にも沢山出会えた。新しい考え方にも触れる事ができた。完全に供給と消費が上手く回ってしまっている。これは全て、彼のおかげなのだ。

 

この先のことなんて分からない。もしかしたら明日彼の事が好きでは無くなっているかもしれない。事故で記憶が消えてこんな趣味をしていた事すら忘れてしまうかもしれない。

 

しかし、今、この時、彼を一番に想っているのは私であり、一番好きなのは私だ。

文章にすると馬鹿みたいで恥ずかしい限りだが。

 

今年度、私は就職活動をする。(もう始めてなければいけない気もするが)

私は親の望まない県外へ就職しようと考えている。本当に親不孝者である。

しかし私は自分の欲望、『この依存を続ける事』『自立をする事』の為に動こうとしている。自己嫌悪をしながらも、結局は自分の為にしか物事を考えられない。自分を殺す、抑えつける、我慢する事ができないのだ。なんとも自分勝手で醜い。

時々、地元に残る選択肢を選びたくなる。周りの人間に物凄く止められるからだ。しかしそれで過去に苦い思いをした。そこから私の人生はより《普通》から離れた。そのトラウマもあるから、地元にずっと依存していたくないと考えてしまう。

 

地元を離れ新しい環境に身を置き自らを痛め付けたら上記に倩と述べた考えも全部丸く過去になるかもしれない。《普通》を手に入れられるかもしれない。逆に、過去にはならず進行形で対象により深い恋心を持つ事になるかもしれない。依存に溺れるかもしれない。どんな結果になるかは分からないがとりあえず、とりあえず環境を変えるところから始めてみたいと思った。そうしないと本当に今のまま、人生を終えそうだから。

本当に県外で就職ができるか分からないが、努力はしてみようとは思う。

 

本格的に就職活動をしなければならない今日この頃、毎日何かに追われている様な、でも無知故誰にも相談できない迷走した毎日だが、彼の存在が希望として日々を潤してくれる。

 

 

結局今は、彼本位なのだ。